2012年3月10日(土)
会長であった父が他界しました。
享年81歳です。
2010年11月 胃癌の手術の為に入院して
手術自体は成功だったのですが、
直後に肺炎を患い それから1年4ヶ月の入院生活
一度も退院や外出さえもすることなく
病院での闘病生活を送ることになってしまった事は非常に残念ですが、
今はその苦しみから解放されて安らかに天国で眠っていると思います。
気難しいところもあり 人付き合いがあまり得意な方ではない父でしたが
社員ひとりひとりの事を常日頃から心配して
健康状態やプライベートのことなども気にしていました。
未熟な私に対して 常に厳しい叱咤激励
大きな愛に包まれていたことを今更ながらに実感しています。
HARLEY-DAVIDSONに乗るのが大好きな豪快なところもありましたが
それ以外は 酒もタバコもやらない まさに仕事一筋の真面目人間
弊社の基礎を築き上げた努力の人であったと思います。
葬儀は 3月14日(水) と 15日(木)に文京区西片の興善寺会館にて行われました。
お寺に向かう前に 自宅に迎えにきた車に父の遺体を乗せて会社へ立ち寄りました。
父に最後にもう一度 今の内田染工場を見せたかったからです。
会社の前で 社員全員が表に出て 見送ってくれました。
お寺に向かう車の中 母の涙が止まりませんでした。
ほんの数分でしたが、物凄く永い時間に感じました。
とても多くの皆様から生花を頂戴致しました。
お蔭様で祭壇があふれんばかり いっぱいの花で美しく飾られました。
皆様のお心遣いに心より感謝申し上げます。
そして会場に 故人を偲ぶ 想い出のひとコマとして 懐かしい写真を飾りました。
内田染工場 100年の歴史を 明確にあらわすものは 今となってはあまり残っておりませんが
父の部屋を探したら 昔の写真がいくつかみつかりました。
お通夜には 多くの方々にご参列頂きまして有難うございました。
そして 翌日 15日の告別式
こちらも朝早くから大勢の方々にご参列いただきました。
遺族を代表して 私から 皆様へ感謝のことばを述べさせて頂きました。
皆様に 最後までお見送り頂きまして 心より感謝申し上げます。
残された我々家族 とりわけ私はまだまだ未熟者ですが
どうか生前の父と変わりなくお付き合い頂ければ幸いです。
正確に数えると七七日は 4月27日でしたが、平日なので
その前の日曜日の4月22日に 四十九日の法要ならびに納骨式を執り行いました。
元々 群馬県 桐生市の呉服屋の出身である内田家なのでお墓も桐生にあります。
まずは 常善寺本堂で お経をあげていただきました。
そして その後で お墓へ向かい 納骨
安らかに成仏してほしいと願います。
生前父は 母に対しては 非常に厳しかったと思います。
元々 我が侭な父が 母には遠慮なく 本心をストレートにぶつけていたんだと思います。
母は それに追い回される様に 実に素直に そんな要求に応えていた
今までは それが母の人生だった様な 気がします。
入院してからの長い月日も 毎日欠かすことなく 父を見舞いに行った母にとって
心の支えを失ってしまった事が とても心配です。
これからは 労わりの気持ちをもって 母を気遣いつつ
頑張って参りたいと思います。
どうかこれからも何卒宜しく御願い申し上げます。